学ぶということの意味2016年08月15日 05:59

「辺野古の子、国策に苦悩」 意見言えぬストレス、地元を学べず 元教諭が報告

 5〜7日に琉球大学などであった「歴史教育者協議会第68回全国大会」で、名護市立久辺中学校元教諭の喜屋武幸さんが「国策に翻弄(ほんろう)される地域の生活と教育」をテーマに報告した。同中には、新基地建設が計画されている名護市辺野古に住む生徒らが通う。喜屋武さんは、この問題によって子どもたちが「自分の意見を言えないストレスにさらされ、地元のことを学ぶ機会も奪われている。抑圧された状況を早くただすべきだ」と訴えた。
 喜屋武さんは、2015年3月まで3年間、同中で技術家庭科を教えていた。問題が長期化し、政府が地元を懐柔する狙いで公金を支出しているとみられていることなどから、喜屋武さんは「地元の人は賛否が言えず、中学生でさえ基地問題を語ると人間関係が悪くなる」と説明。漁業補償などを巡り、「おまえたちばかり得して」などと生徒が“小競り合い”する光景を目にしたことがあるという。 問題を学ぶ機会や議論する場がないことから、「間違った情報をうのみにし、矛盾に満ちた捉え方をしている生徒もいる」と打ち明け、「地元でこれだけ大きな問題が起こっているのに、学べないのは恐ろしい。基地のない地域を描けないようになっていることも最大の被害と実感している」と話した。
 さらに、「無批判な状況が続けば、この文化が再生産され、問題解決にも影響する」と危機感を感じ、無記名で基地建設への意見を出し合う授業を開いた、と報告。「学ぶことは、自由になること、問題に向き合うことだと思う。学校は、子どもの学ぶ権利を保障し、不正義に負けない使命感と自覚を持つべきだ」と呼び掛けた。
http://news.goo.ne.jp/topstories/region/385/28f56e053c06dc4f9dd5c2d4c1fc3e12.html?fr=RSS

   「アクティブ・ラーニング」が、現在、学校教育で流行りのキーワード。如何にして、子どもの能動的な学びを引き出すかが、模索されている。そこでは「身近な問題について学ぶ」「地域について学ぶ」ということが重要な視点として強く奨励されている。子どもにとって、地域にとって、切実な問題について、「語れない」「学べない」ということは、本来、あってはならないことだ。


優生思想 ―毎日新聞2016年8月17日 東京夕刊より2016年08月18日 13:02

相模原殺傷事件 感じた嫌悪「いつか起きる…」 
長男が障害持つ野田聖子衆院議員

 社会に与えた衝撃はあまりにも大きい。19人の命が奪われた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件。殺人容疑で逮捕された容疑者の常軌を逸した言い分に、絶句した人も多い。重い障害を持つ長男真輝(まさき)ちゃん(5)を育てながら国政で活動する自民党の野田聖子衆院議員は何を語るのだろう。
【構成・吉井理記、写真・内藤絵美】

 −−植松聖(さとし)容疑者(26)は、事件前の同僚らとの会話や逮捕後の供述で「障害者は安楽死できるようにすべきだ」などと、障害者を大量虐殺したナチスに通じる差別的発言をしていると報じられています。

 野田氏 思うことがあり過ぎて、考えをまとめられていませんが……。率直に言うと、通り魔のような無差別殺人と比べて、私は意外性を感じなかった。「いつかこんなことが起きる」って。なぜなら息子を通じて、社会の全てとは言いませんが、相当数の人々が障害者に対するある種の嫌悪を持っていると日々感じてきましたから。

 −−社会の嫌悪、ですか。

 野田氏 息子は、心臓疾患や脳梗塞(こうそく)などで11回もの手術を小さな体で乗り越え、来年からは小学生になります。その息子の治療について、インターネット上にはこんな声もあります。ある人は「野田聖子は国家公務員だ。今、財政赤字で税金を無駄遣いしてはいけない、と言われている。公務員であるなら、医療費がかかる息子を見殺しにすべきじゃないか」と。これを書いた人は、作家の曽野綾子さんの文章に触発されたようです。

 −−確かに曽野さんは著書「人間にとって成熟とは何か」で、野田さんについて、<自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、か、感謝が全くない−−>などと指摘していますが……。

 野田氏 私、曽野さんを尊敬していたから、読んだ後に頭が真っ白になって。要は障害があると分かっている子供を産んだ、その医療費は国民が負担する、ならば一生感謝すべきだ、と。私は何を言われても平気ですが、私が死んだ後、一体息子はどうなるのか、と慄然(りつぜん)としました。

 健常者と呼ばれる人たちの中には、「障害者の存在は無駄で、国に負荷をかける」と信じている人がいる。この国から障害者がいなくなることはあり得ないし、高齢化やら何やらで、今は誰もが障害者になる可能性があるのに。障害者は「可哀そうな存在」ではなく、将来「なるかもしれない自分を引き受けてくれている存在」だ、ぐらいの気持ちになってくれたらな。

「命ってすごいんだぞ」

 −−それにしても私たちが税金や国民健康保険料などを納めるのは、お金を納められない人も含めて「誰もが安心して治療や介護を受ける権利」を守り、享受するための当然の行為です。ある人に感謝されたり、肩身の狭い思いをさせたりする理由はない。日本は、そんな「成熟した民主国家」になっていた、と信じていました。

 野田氏 明治時代からなのか、小さい島国で資源もないせいか、日本人は「強さ」への憧れが強い。「強い何々」という言葉が大好きでしょ。これだけ高齢化して人口も減っているのに。コンプレックスの裏返しというか、自分たちが本当は強くないからこそ強くありたい、と。だから、生まれながらに強くあることができない人への「線引き」があるのかも。私も当事者になって初めて気づいた。

 −−植松容疑者のような考えの人に、野田さんだったらどう語りかけますか?

 野田氏 うーん。容疑者だけを悪者にして済ませればいい話ではない。病気に例えれば免疫力が低下した時に菌が入って病気に感染するように、誰もがそうなり得る。自分が幸せじゃない時に、しゅっとそんな思想が入り込んだりして……。でも私が嫌なのは、容疑者が大麻を使っていた、タトゥーを入れていた、病院に入っていた、という話ばかりが注目されること。措置入院のあり方などが議論されていますが、焦点は「手前の段階」と思います。

 −−違和感があるわけですね。

 野田氏 逆にお聞きしますが、この事件でなぜ被害者の名前が報道されないのでしょうか。被害者が生きてきた何十年という人生が、ないことになっているのでは。その人生を失った悲しみは、これで分かち合えるのでしょうか?

 −−「遺族が公表を望んでおられない」と警察が説明していることもあります。

 野田氏 優生思想的な考えを持つ人たちから、家族が2次被害に遭うからでしょう。変ですよね。だからこそ私は逆を行きたい。息子の障害や写真を公表したのもその思いから。国会議員にも家族の障害を隠す人がいるんじゃないかな。でも隠す必要はない。息子に誇りを持ってほしいとの思いもある。でも、本音を言えば私も息子も、いつ襲われるか分からないジャングルの中を歩いているような気分ですが。

 −−このジャングル、なくならないのでしょうか。

 野田氏 そんなことはない。考えてみてください。セクハラは昔は当たり前のように横行していた。そして女性は泣き寝入り。それが今は「それセクハラ!」って言えるでしょう。男の本音は昔と同じかもしれないけど、建前は変わりました。そこに意味がある。4月に障害を理由にした権利や利益の侵害、差別を禁じる障害者差別解消法が施行されました。これも社会を変えるためにようやく動き出したと感じています。

 −−政治にはまだまだできることがある、と。

 野田氏 そうです。私も嫌いな人はいます。誰しも心に毒はある。でも大人になるというのは、心の毒を見せないことだと思う。毒を隠し、建前を大切にできる。それが成熟した大人、国家です。

 −−野田さんのブログに登場する真輝ちゃん、相当なわんぱくですね。

 野田氏 家ではわがままなくせに保育園の女の子にはいいとこを見せたりね。安倍晋三首相のモノマネをするんです。安倍さんが朝、首相官邸に入る時に報道陣に手を上げる仕草をまねるだけですが。詳細は控えますが、石破茂さんのモノマネ、これは相当完成度が高いんです、アッハッハ。

 −−ぜひ見せてもらいたい。

 野田氏 ……容疑者にも知ってほしかった。命ってすごいんだぞって。ちょっと前まで体に17本ものチューブをつながれて生きていた子が、今は2本に減って、安倍さんや石破さんのモノマネして悦に入っているんですから。命の可能性の醍醐味(だいごみ)をもっと知ってほしかったと思っています。

 ■人物略歴  のだ・せいこ
 1960年生まれ。93年衆院選で初当選。郵政相や自民党総務会長などを歴任。2010年に米国で卵子提供を受け、後に結婚する男性と体外受精に挑み、11年に真輝ちゃんを出産した。

毎日新聞2016年8月17日 東京夕刊
【構成・吉井理記、写真・内藤絵美】